三連休にした初日の金曜日の夜、大きな鍋でもつ煮込みを作った。

 

肉のハナマサでホルモンを2kg買い込み、茹でこぼしたあとで濃い味の味噌で煮る。

一本分の大根を入れて長時間煮込むと出来上がりだ。

 

分量がぶっ壊れているので、とんでもない量のモツ煮ができる。

これを何日もかけて食べるのが、とても楽しい。

 

例えば、食べる前に豆腐を混ぜて煮込む。あまり煮込みすぎると崩れてしまうので後入れにする。

豆腐が、濃い味に作ったモツ煮ととても合うのだ。

 

3日目のきょうは、ついに鶏肉とタマネギを入れて煮込むことにした。

こんなことをやっているから、永遠に減らないモツ煮ができるのだった。

家にいて鍋の番をしながら、何食目かわからないモツ煮を食べるのが至福だ。

 

こうやって継ぎ足して料理を作っていくのは、僕の料理の原風景に近い。

うちの母親が、こういうおやつの作り方が大好きだったのだ。

 

子供の頃大好きだったのが、酒粕で作る甘酒だ。

板粕を鍋に張ったお湯に入れ、火を入れて溶かしながら、砂糖、少しの塩、しょうがを入れて味を整える。

取り立ててこだわりのない甘酒なのだけど、北海道の冬に夜な夜な甘酒を作ってもらい飲むのをとても喜んでいたのをよく覚えていいる。

 

この甘酒も、はじめのうちはちゃんと甘酒なのだけど、飲み終わった時にコップの底に残った酒粕を鍋に戻し、水を加えて煮るとまた甘酒ができるんだよね。

そうやって、鍋いくつぶんの甘酒を飲んだことだろう。

 

僕以外の人で、料理の原風景が速水もこみちという人もいるんだろう。

高いところからオリーブオイルをたらすのが醍醐味と思っている人もいたっていいと思う。

 

また、たまにまーったく料理ができない人というのにも出くわすけれど、それも自由だ。

それくらい自由が許されている中で、長い時間グツグツと煮込む料理が原風景にあるのだって、許されていいはずだ。

 

こと料理に関しては、混沌を愛しているのが自分の性分だ。

こういう時なので、射程の長い話をしよう。

 

 

大学の指導教官が、数理統計学の授業の最初に話したことがある。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この世とあの世があるんだよ。

あの世には、物事を生み出す確率分布や法則がある。

あの世からこの世にやってくる時に、物事はあるパラメータを持ってやってくる。

これを「運」という。

 

この世で観測できるものは、運に従属して値が変化する。

この世で観測された値を「実現値」という。

 

実現値の集まりからあの世の法則を考察し、この世の未来を占うのが、統計学だ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

指導教官は古き良きコミュ障だったため、気の利いたことを気さくに話す人ではなかった。

ただたまに、学問の核心をついたことを零すように話すことがある。

この話はまさにそれで、僕が思う数学の姿と統計にパスをつなげてくれた、思い出深いものだ。

 

この話のすごいところは、

「あの世があるんだよ。」

というところから話が始まるということだ。

 

この話は、パラメトリック統計学と呼ばれる分野における思考経路を、よく比喩している。

統計学に何を仮定するかというのは数学者の間の深い思想論争になっていて、実際「あの世がある」という仮定そのものが受け入れられず、統計学を大嫌いな数学者は少なくないのだ。

 

例えばサイコロを振ることを考えてみる。

中学高校で習ったとおり、確率統計の世界では「同様に確からしい」という概念を持ち込んで、それぞれの出目は6分の1の確率で起こるのだという。

 

でも、物理学者の気持ちになって考えてみれば、そんなことはありえない。

いかに難しい物理運動であろうと、サイコロは空中で有限回の回転をし、地面を転がり、その後静止する。

これは古典的物理学の範疇で説明できる運動であって、空気抵抗や摩擦の要素はあれ、ランダムな要素は入らない。

 

今になって得心がいくのだけれど、「同様に確からしい」という、なんとももどかしいというか、目玉の裏がかゆくなるような表現には、教科書を執筆した偉い人の、「軽々には了承しないぞ」という思考が感じ取れる。

 

物理学者の言うことはとてもよくわかる。

実在しないことを仮定するのは、素朴に自然科学に反していると僕も思うし、実際そのように分析を進めていって構わない。

 

でも、別のモデルとして、いったんあの世を仮定してしまおう。

これが統計学の出発点だというのだ。

 

 

この話は、僕の頭の中にある、あの世やかみさまといったものの類に対する思考の呪いを解いてくれた。

 

これを読んでいる皆さんの中で、理系の人間はあの世の存在を信じない奴らだと思っている方はいないだろうか。

その指摘は多分、正しい。

ぼくも高校生くらいの頃はそうだった。

人の考えも脳の信号に過ぎないのだから、神様なんていないに決まっていて、全てはビッグバンから始まった物質とエネルギーの変遷に過ぎないと考えていた時期があった。

 

今の僕は、「この世はあの世の実験場」だと考えている。

僕の脳味噌に自由に考えが巡るのが、ぼくの「あの世」であって、各人、あるいは思考する全ての物には別個の「あの世」がある。

同時に僕たちは受肉し、共通のこの世を生きている。

あの世の思考に基づき、各者が体を動かし、発話し考えを述べ、それらが各者の「あの世」に影響を与えている。

そういうモデルで世の中を考えている。

そう考えるほうが理系頭にも居心地がよかったのだ。

 

高校生の頃、文系の後輩に

「もし三平方の定理が成立しなかったら、どうなるんですかね。」

と問われたことがあった。

僕はそのとき、

「三平方の定理は幾何学から地続きで導かれる定理だから、揺るがないよ」

と答えたのだが、全くお門違いな返答だった。

 

今回答するとするならば、それはユークリッド幾何学の仮定である、直線や平行、直角という概念から解放された世界になるだろう。

この世の私たちが見える範囲では、直線は誰がみても想像通りの真っ直ぐな線だけれど、自分の脳内や惑星の表面といった世界線で、三平方の定理が成り立たない世界を考えるのは全く自由だ。

 

この世は、あの世の実験場。

大切なのは、各人のあの世は「あるかもしれない」と仮定して、その存在と自由を尊重するということだ。

 

僕にとって、僕のあの世はとても大切だ。

それと同じくらい、それぞれにとって、それぞれのあの世はとても大切だろう。

僕は自分が自由に精神世界を旅することを最上位の欲求に位置付けるし、他の何人にも邪魔することは許さない。

同じことを他人のあの世にも施そうと思う。

 

たまにこの世でひどい目に遭うことも、自由が強く制約されることもあるだろう。

それはこの世での実験の結果であって、共通のこの世に生きている以上、仕方ないこともあるだろう。

だけど、僕とあなたのあの世の自由は確保されているし、蔑ろにされたり、制約されるべきものではないのだ。

 

この世で理不尽なことがあったとしても、皆の精神世界を守っていこうじゃないか。

辛いことがあったら、自分のあの世に励ましてもらおうぜ。

 

僕が突然オカルティックな話をし始めたら、この話のことを言っているんだと思って、諦めて聞いてほしい。

金曜日に休暇をとり、金・土・日の三連休とした。

外出自粛要請を受け入れ、家でゴロゴロしている。

 

こういうときにやることが多いのが僕の役得だ。

特に、買っていた「パズル通信ニコリ」のパズルの解き頃だ。

 

「ペンパ」という略称はもとより、略さない「ペンシルパズル」という名称でもその枠組みが伝わらないことがある。

紙とえんぴつで解くパズルたちを指す言葉だ。

 

そう言われても、一種類もペンシルパズルが思い浮かばない人もいるだろう。

「クロスワード」と言われて初めて、ああ、ああゆうやつねと思い、それでもクロスワード以外に何かあるのかと思う人もいるかもしれない。

 

・ナンクロ(ナンバークロス)

・数独(ナンバープレース)

・推理クロス

・点つなぎ

・ナンバーリンク(数字つなぎ)

 

あたりが有名どころだろうか。

 

ニコリではペンシルパズルをたくさん開発していて、

 

・スリザーリンク(格子点に引く線の本数が指定されていて、大きな輪を作る)

・カックロ(和が与えられた数字になるようマスを埋める)

・ぬりかべ(シマを確定させるように黒ますの繋がりを作る)

 

というのも歴史あるペンシルパズルだ。

最近できたところでは、

 

・ぬりめいず

 

というのがとても面白い。パズルとしても良くできているし、完成すると迷路が出来上がるという美しさも素晴らしい。

 

ペンシルパズルの楽しさは、なかなかわかりやすいものではないと思う。

連想ゲームを解くようなヒラメキの面白さや、理詰めの面白さ、とにかく目の前の空マスを埋めるプチプチの面白さがある。

 

どれも、キルタイムの中でも言い訳が立ちにくいものばかりだ。

 

片や、読書は新しいことを知り、学ぶことができる。

 

片や、編み物は出来上がりのブツが生まれる。

 

パズルはゲームと同じく、時間を投じただけの生産性がない。

 

ただただ、自分の脳に巣食うシナプスのトレーニングをしているにすぎない。

 

そういう意味ではジョギングや筋トレと似ているのだけど、彼らは「健康」という、中年男性にとってもっとも欲しく得難いものを人質にとっている。

 

さらに、ペンシルパズルは絶望的なまでに没コミュニケーションである。

 

知り合いの陽キャに巨大パズルを解くさまを

「かわいそうな人みたい」

と称されたことがある。

 

人は言い返せないことを指摘されたとき、一番腹が立つのだなあ、と思い知った出来事だ。

 

それでも、僕はパズルをやめない。

誰にも迷惑をかけず、音も立てず、自分を興奮の中に置くことができる。

こういう時に、うってつけじゃないか。

肌着や衣類、靴を買うことについて、未だに苦手が過ぎるのだけど、ネット通販を利用することで幾分か緩和されたような気がする。

 

はじめに手を出したのは、ランニングシューズですね。

 

僕はほんとうに靴を買うのが苦手なのだ。

 

原因はいくつかあって、まず、僕はよく歩くので、靴の磨耗が人よりもひどい。革靴で年に3つくらいダメになる。

それに、僕の足はかなりの甲高だ。つちふまずが大きく、縦と横幅がやけに大きい。

なので、よほど幅広な靴を選ばないと、靴の大きさだけで選ぶと履けず、だからといって大きいサイズのものにすると、つま先がブカブカになる。

 

さらに、僕はケチなものだから、モノには適正価格があると思っている。

例えば安物で4ヶ月で履き潰れる靴が5000円で売っているとして、とても良い靴が3万円だったとすると、その靴は2年は長持ちして欲しいと切に願うのだ。だけど「2年長持ちします」と書かれている高い靴はない(それよりもオシャレさに注力している)ので、低価格帯の靴をたくさん買って履き潰すのみになってしまう。

 

と、このような革靴事情を改善するため、最近はランニングシューズで会社に行くようにしている。

徒歩通勤中の靴の磨耗をランニングシューズに任せて、革靴は会社の机の下にこっそり忍ばせ、えらい人と会う時だけ履こうという算段だ。

 

さらに、機能的なランニングシューズをネットで購入するに至った。

初めて買う時は少し抵抗があったけれど、店頭で柄違いで値段が倍違うスニーカーの不思議に付き合うよりも、ネットで買うほうが気が楽だ。

革靴と違ってスニーカーは多少の横幅は靴紐で調整できるしね。

おかげ様でネットで3000円くらいで買ったランニングシューズをいたく気に入っている。

いくら履きつぶしても罪悪感がないのが、とてもいい。

 

 

ランニングシューズのネット通販で味をしめたので、次は肌着に手を出した。

 

肌着といえばなんでもいいと思っていたのだけど、色気を出して買ったヒートテックが僕に合わないのは残念だった。

アトピー肌の僕が着ると、乾燥しすぎてしまい、かゆみを起こしてしまうのだ。

綿だと、湿気をいい感じに保ってくれるのだと思う。

皮膚科医には「肌着は綿100%にしなさい」と言われていたが、こういうことだったのかと得心した。

 

ということで、綿100%の肌着を買う必要が出てきたのだけれど、昔イオンで買っていたのが、都心に出てくると意外と肌着を売っている店がない。

 

そこで、グンゼのオンラインストアに頼ることにした。

さすがグンゼだけあって、綿100%の肌着だけでも5、6種類のブランドがあったので、はじめに4種類ほど買った後、気に入った種類を10枚ほど買い増しした。

それ以前はGUのペラペラのインナーを着ていたので、ちゃんと縫製されていて生地の厚い肌着にいたく感動したのだった。

 

余談だけど、グンゼの通販サイトは定期的にタイムセールをやっていて、セール時期を狙って買うとお店のセール品とほぼ変わらない値段で良い品が買えるのが、オバさん的お買い得精神をそそられる。

おかげさまで肌着のグンゼの割合がどんどん増えていっています。

 

 

服のネット通販は、サイズをぴったり合わせなければいけないものはなかなか敷居が高いけれど、サイズがあまり気にならないもので、店頭で買うのをまごつくものは、今後もネットで買おうと思う。

 

最近ネットで買って感動したのはスウェット型のパジャマだ。

裏地が綿のパジャマを2着買うと、寝心地がとても良くなった。

 

あまりに着心地が良すぎて、休日家の外に出るのがおっくうになるのが近ごろの悩みだ。

ひとり暮らしなので、たて型式の洗濯機を愛用している。

7年前くらいに買い替えた洗濯機で、乾燥機能がついてはいる。

 

だけど、

「たて型式の洗濯機についている乾燥機能はお遊び程度」

という話を皆さん聞いたことありませんか。

たて型式洗濯機は洗濯機能に向いていて、乾燥機能がしっかりしているのはドラム式洗濯機である、と。

 

確かに、昔乾燥機と洗濯機が別々だったときの乾燥機はドラム型だったし、コインランドリーの乾燥機もドラム型だ。

実際、梅雨時に何度か乾燥機能を使ってはみたけれど、バスタオルはなんだか少ししっとりしていて、結局もう一度部屋干しすることになった記憶がある。

さらに、乾燥機をアウターやYシャツにかけたら、見事に袖のあたりがシワシワになってしまうのだ。

 

そんなことを思い、しばらく乾燥機能を使わなかった時期が私にもありました。

 

ところが、です。

僕の洗濯乾燥機には「ふんわりキープ」という名前の、乾燥機能が終わったあと、洗濯槽の中を高温・乾燥で保っておいてくれる機能があったんですね。

この機能を頼って洗濯乾燥がストップした後でもう半日ほど洗濯槽で放っておくと、見事にカラカラフカフカになることがわかったのだ。

 

これに気がついたのが3ヶ月前。以来、僕の洗濯生活は劇的に変わった。

インナーとアウターに洗濯物をわけておいて、インナーは洗濯乾燥機で半日カラカラにする。

アウターは洗濯だけして、普通に干す。

 

これだけで、家事の中でもっとも嫌いな「洗濯物を干して畳んでしまう」が、劇的にラクになるんですね。

インナーの方は靴下、パンツ、シャツに分けてタンスにしまえばおしまい。

アウターはYシャツとパーカーなんかを洗濯して、ハンガーにかけて半日干した後にそのままクローゼットにしまう。

これまで肌着の数だけ必要だったハンガーも必要ないし、これまでは雨の日、大量の肌着をどう乾かそうか途方に暮れていたのだけれど、Yシャツは洗濯物の中でもとても乾きやすいので、部屋干ししても負担にならない。

 

 

この生活に気づく前の僕の洗濯生活を、パナソニックさんの洗濯機開発者が見ていたら、なんと言っていただろう。

 

大量の肌着とパンツの中に埋もれたYシャツを探してハンガーにかけ、パンツと靴下は洗濯バサミが大量についた物干しにひっかけ、たまに面倒くさすぎて洗濯後4、5時間干さずにほっておく醜態をさらす僕を見て、

 

「7年前からあなたの洗濯機には、とっくにちゃんと乾く機能が付いていたんですよ」

 

と、ため息をついて教えてくれたに違いない。


「ちゃんと取扱説明書、読みましたか」

 

と、ネット取扱説明書のダウンロードURLを示してくれることだろう。

 

これがひとり暮らしの恐ろしいところだ。

自分の生活に不手際があることに、7年も気づかずに平気なのだ。

 

僕は今、7年分の損した気持ちに苛まれている。

 

ある意味、「知らぬが仏」ということなのかもしれない。

最近買った高いものに、「除加湿清浄機」というのがある。

空気清浄機に、除湿と加湿の機能がついたものだ。

 

少し前に釧路に引っ越した兄から、

「シャープの湿度調整機がすごく良いから、買いなさい。」

と言われたのがきっかけだ。

 

「釧路は湿地帯なので除湿が気がかりだったのだけど、これをおいてからは

 窓の結露も治ったし、カビの心配もなくなった」

 

というのだ。

 

暮らしの質を高めるものはたいていの場合、言われて初めてその不便さに気づくことが多い。

(僕が生活に対して大変雑で、感度がすこぶる悪いだけなのだと思うけれど)

 

僕が住んでいるワンルームタイプの部屋も漏れなく鉄筋コンクリートで、温度管理はエアコンで十分だけれど湿気の管理が難しい。

さらに、冬場は乾燥がひどく、アトピー肌には厳しいものがあった。

乾燥対策に小さい電気加湿器を置いているのだけれど、稼働しっぱなしにしておいた結果、逆に湿度が高すぎることも気になっていた。

 

言われてみれば、湿度を観測して高いときは除湿、低いときは加湿をしてくれる機械があれば、こんなにありがたいことはない。

 

そんな機械が、なんとあるというのですね。

 

家電量販店に行って説明を聞いてくると、3社が除加湿機能付きの空気清浄機を販売しているとのことだ。

単に加湿機能付きの空気清浄機だともっと多くのメーカーが出しているのだけれど、除湿機能をつけると機体がかなり大きくなり、価格も5万円を超えてくるようだ。

 

日立の除加湿機能付き空気清浄機は、水をいれるタンクが除加湿兼用でひとつになっていて、給水の手間を節約できるのが売り。

シャープのやつは、タンクが二つに分かれている。

ダイキンのやつは空気清浄機の質の良さがセールスポイントだ。

 

家電量販店の人は「タンクはふたつに分かれていた方が衛生的だと思いますよ。除湿で抽出された水をもう一度放出するのって、汚い感じがしませんか?」と、シャープのやつを押していた。

僕としては一つのタンクを利用することは水の再利用としてとても合理的だと思ったのだけれど、昔メンテナンスをほうっておいて空気清浄機をダメにした経験があったので、水がカビてしまう残念さを懸念し、タンクが2つのシャープのものにすることにした。

 

以来、僕のワンルーム8畳の部屋にはやや大きめの、除加湿機能付き空気清浄機が置かれることになった。

 

使ってみると思ったよりもずっと快適だ。

目に見えて窓の結露が収まっているし、冬場の乾燥も全く気にならない。

機体が大きい分だけタンクも大きいし、加湿の時間も調整してくれるので、今までの加湿器に比べてタンクの水を注ぐ回数も減った。

1週間に1回くらいの頻度で、給水タンク、排水タンクそれぞれ3リットルの水を出し入れする。

日によってタンクの水の減り具合、溜まり具合が全然違うところに、センサーに基づいてキチンと働いている安心感がある。

特に除湿のタンクが一杯になった時は、「こんな狭い部屋で3リットルも水を抜いてくれるなんて」という感動を覚えるものだ。

 

除湿のときの音の大きさはデメリットだ。かなり大きな音がして、夜中気に障って電源を落としたことがあった。

ただ、その分除湿の効果は絶大なので、「除湿って大変なんだなあ」と音の大きさを許す気持ちもある。

 

 

そんなわけで僕の部屋の湿度コントロールはかなり改善されたのだった。

 

こういう生活改善を「ライフハック」というらしいのだけれど、19年一人暮らしをしていると、暮らしのしかたについてよその家と情報交換をすることがない。

多少部屋が広くはなったけれど、ワンルームの部屋に住んでいるのは大学生の頃から変わらない。

 

おそらく僕の生活は驚くほど原始的で、周りから見ると「ちょっと、なんとかならないのか」と言われることも多々あるんだと思う。

 

他人にとやかく言われるのは気恥ずかしい限りなのだけど、そういうところを一歩一歩、自分のペースで直していくのは、あんがい楽しいものだ。

 


麻雀をよく打つようになった。

 

Abema TVでRTDリーグやMリーグを見てから、近代麻雀や麻雀の戦術本を読むようになり、それでネット麻雀の天鳳もやり始めた。

 

現在、天鳳は四段。

 

天鳳には「天鳳卓」「特上卓」「上級卓」「一般卓」と卓のグループが分かれていて、上位の卓に参加するには段位とレーティングが必要だ。

少し前まで特上卓に参加できるギリギリのレーティングを彷徨っていて、上級卓でレーティングを蓄えては特上卓に挑みラスを引き、またしばらく上級卓でレーティングを貯めるという生活をしていた。

ここ数日で、ようやく特上卓で連戦できる程度のレーティングに落ち着くようになったので、誇らしい限りだ。

 

この麻雀へのハマり方は、将棋と似ている。

将棋も幼少期のときルールだけ覚えて、その後観る将になってから藤井猛先生の「四間飛車を指しこなす本」を読んで、将棋ウォーズで指すことに目覚めたのだった。

おかげさまで、将棋ウォーズで数千局指した今も、居飛車の指し方はまったくわからない。

藤井聡太さんと対局したら、居飛車と振り飛車の対抗系になることだけは間違いないのだ。

 

どうやら僕は教則本の類からハマっていく類いらしい。

試行錯誤して自分でルールを探すというのは、パズルや学問系では好みなのだけど、テーブルゲームについては自分の脳ミソはからきし信用ならないのだ。

なので絶対に「とびきり強く」はならない。

どちらかというと、ほんとうに麻雀や将棋が強い人の考え方を理解したくてやっている、という感じだ。

 

「勝負心」のようなものも、僕は人に比べて本当に薄いのだ。

あまり人と競う経験を避けてきたからかもしれない。

 

麻雀が好きな人、将棋が好きな人と話しすことも増えたのだけど、そのような方々の勝負事の好きさと違う次元で生きているので、どこか申し訳なさを覚えながら彼らと対峙している。

抗ヒスタミン剤もいろいろな種類を飲んできた。

 

高校生 ポララミンとセルテクト(〜2000年)

大学生 エバステルまたはジルテック(2001年〜2007年)

社会人 ネオマレルミン(ポララミンのジェネリック)、ザイザル、ルパフィン(2008年〜2019年)

 

時代を通じて抗ヒスタミン剤の薬剤開発の過程が見えるようだ。

「ポララミン」は抗ヒスタミン剤第一世代と言われているのに対し、「ジルテック」「ザイザル」は抗ヒスタミン剤第二世代の代表選手だ。

 

僕が初めて抗ヒスタミン剤を処方されたのは中学の頃、ポララミン2mgを一日1錠だった。

当時は医者の言いなりなので薬の選択を自分ではできなかったのだけれど、症状が治っていないと判断されたのだろう。

そのうちポララミン6mg錠に替えられた。

2mgの時は白いちっちゃい薬剤だったのが、赤い糖衣にコーティングされたものに変わり、形状からして「本気だぞ」と言っているようなふうだった。

 

このポララミン6mgが強烈だった。

頭がぼーっとして、何にもやる気が起きなくなるのだ。

 

コタツの中にしばらく入っている感じ、というのに近いだろうか。

眠くなる前に子どもの身体があったかくなることがあると思うのだけど、それが体内で起きているような感じだ。

 

そんなに嫌なら薬をやめればいいじゃないかと思うんだけれど、かゆみに効果はあるようなのだ。

薬を飲む前は傷口がとにかくかゆかったのだけど、それが治まるというのははっきりある。

アトピーで最もおそろしい、かゆみの悪循環を止めることができるようだ。

 

なので、薬を飲むのはやめられない。

しかし、たまに薬を上回るかゆみに襲われることもあって、症状はそれほど良くはならないし、ステロイド軟膏は手放せない。

これが永遠に続くのがアトピー患者にかけられた呪いだった。

 

おかげさまで薬剤の技術は進み、ポララミンよりも眠くなりにくい薬が処方されるようになった。

「ザイザル」はジルテックの眠さを抑えていて、業界では「スーパージルテック」と言われているそうだ。

その話を医者から聞いた僕は、スーパーでないジルテックを長年飲んでいたものだから、時代の流れを思うような遠い目になったものだった。

 

それでも「ザイザル」を初めて飲んだとき、朝起きられなくて会社を遅刻した。

僕だけなのかもしれないけれど、初めて抗ヒスタミン薬を飲む時は眠気の効きが強くなるようだった。

僕はザイザルに「ダメニナール」というあだ名をつけて、周囲に言いふらして回った。

 

 

抗ヒスタミン剤は、多くのアレルギー患者にとってわかりやすい呪いの薬だろう。

飲んでいる時に思うことは、躁うつ病の思考の類型ととても似ている。

 

薬を飲んでいるときの自分が「ほんとうの自分」ではない。

薬さえやめれば、自分は大きなことができる。

薬のせいで、自分は抑圧されている。

 

そういう思いが片隅によぎるようになる。

 

医者の言う、「アトピーは生きることへの反抗だ」という名言が身にしみる。

活性をやめよ。生きようとするな。

躁うつ病の人間に対しマリオネットの糸を切るのは、確かに一番の治療法だ。

いっそ命を切ってしまおうか、と希死念慮を覚えることもあった。

 

活性と不活性の1%と99%の間をうろうろしながら、ダウナーになったり、気持ちを持ち直して代わりに肌がボロボロになる。

これを繰り返していくうち、だんだんと居心地の良いエリアを見つけ、気持ちと症状が平衡していく。

こうして僕は大人になったように思う。

 

「ダメニナール」の真相は、ひょっとしたら「大人になる薬」なのかもしれないな、と思った。

疳の虫が収まって、大人になる過程をアシストする薬だ。

だとしたらできすぎた話だから、ここで筆を置いておこう。

 

JUGEMテーマ:アトピー性皮膚炎

 

カンジャンケジャンを食べてきた。

 

きまぐれクックさんの動画を観たのがきっかけだ。

ワタリガニを生きたまま丸ごと醤油漬けにして、火を通さずそのまま割って食べるのだという。

 

どう考えても美味しそうだ。

 

まず、「まるごと」というのがいい。

僕は「まるごと食べたい教」の信者(信者数:ひとり)だから、まるごとのカニを食べるというのはとても好みだ。

 

少し前に釧路に住んでいる兄のところに家族で遊びに行ったとき、釧路のスーパーでタラバガニ1杯まるごとを衝動買いし、兄弟に引かれたことがある。

あれは見事な大きさのカニだった。カニの脚を広げると顔よりも一回り大きいくらいだった。

兄の家に戻ってから、ハサミ、箸、バールのようなもの、新聞紙、あらゆる大きさの皿を総動員して、小一時間かけて身をほじり出した。

居間で阿鼻叫喚しながら。甲羅のトゲトゲで指にたくさん傷をつけながら。

得られたのは買ったときの大きさに比べるとずいぶん少ない身だったけれど、それでも一杯まるごとカニを頂くというのは、大変な満足感だった。

 

「ワタリガニ」というのもいい。

タラバガニの話をした後に何かと思うが、北海道出身の人は毛ガニのミソが好きだ。

僕らはカニの身とミソの混ざったところが大変美味しいということを、よーーく知っている。

そのくせワタリガニを食べたことは、ほとんどないのだ。

 

「毛ガニのミソが美味しい」という経験と「ワタリガニのミソはどんな味がするのだろう」という期待。

この掛け算で、ゼルダの新作を待つような気持ちにまで期待値が跳ね上がるのだ。

 

それと、近いところの欲望に「上海ガニを食べたい」という昔年の思いがあった。

 

伊集院光さんのラジオでのフリートークに、「上海ガニを夫婦で食べに行く話」というのがある。
1個5000円のカニを4個にするか、4000円のカニを4個にするか。思い切ってLサイズを頼んだら、店の人から「特大サイズがございます」と言われた。

上海ガニの大きさと、数と、その値段にもんどりを打つ伊集院さんのトークがまあ面白いのだけど、何よりも上海ガニが食べたくなってきてしまうじゃないか。

 

上海ガニを名物にする中華料理屋を通りかかるたびに、メニューと値段をチェックしているのだけれど、やはり夜営業が多く、ランチだと上海ガニのほぐし身のチャーハンくらいしかない。

さすがに夜に一人で行って円卓に通され、上海ガニだけ食べて帰るというわけにはいかないので、未だ上海ガニにはありつけないでいる。

 

そこへきて「ワタリガニ」熱が上がってきたのだけれど、

「上海ガニは高嶺の花だが、ワタリガニなら行ける」という謎の自信が漲ってきた。

無論全く根拠はないが、どちらもミソが大変美味しく、丸ごと食べるというところは似ている。

「ひょっとして、上海ガニは実はワタリガニではないのか」と思ってググってみたが、見た目からして全然違った。

この確認も、伊集院さんの話を聞いて頭の片隅に「上海ガニ食べたい」を置くようになってから、3回くらいしている気がする。

 

 

話を戻そう。

 

カンジャンケジャンはナマモノなので、食べる場所はしっかり吟味しなければならない。

冷凍で取り寄せる方法、自分でワタリガニを買ってきて作る方法、韓国まで行って食べる方法。

 

いろいろ方法はある中で、平日休暇を取った日の昼に、赤坂の「プロカンジャンケジャン」という店で食べることにした。

 

その店がランチ営業をやっているということ。赤坂が家から近いということ。

4400円と、自分の期待値と見合うお値段だったこと。

これらの条件が僕にはマッチした。

 

言ってしまえば「東京在住でそこそこの稼ぎがあること」を、最大限に活用させて頂いたということだ。

 

これが札幌か福岡か名古屋あたりで食べられるご当地グルメだと、「地元民でしかできないグルメ計画を満喫」と、120%のドヤ顔で開陳せしめることになるのだけれど、東京の話になるとどうも声が小さくなりますね。

テレビのグルメ番組でだいたい首都圏の店を回っていて、それを土日の昼間に観せられて育った地元民の怨嗟の声がそうさせるのだろうか。

身長180cm越えのイケメンが「この店のジーンズが似合う」と自分で言っているさまを見せつけられるときに抱く、どうにもならない感情に共感の念を禁じ得ないからだろうか。

 

みんな、すまない。それでも俺はワタリガニを食べたいんだ。

 

無数の呪いと縁を切って、店に行ってやってきた。

冒頭の写真を収め、手掴みでワタリガニを征服してきた。

 

生のカニというのを食べた記憶が久しくない。カニしゃぶを半生で食べたときくらいだろうか。

 

ニュルニュル、ネットリ。エビよりも磯らしく味が強い。

 

太い爪のところは「カニの身ほぐし器」でかき出し、細い足のところはいやしくも奥歯で噛んで、身を口の中に溶かし出す。

 

甲羅に張り付いたミソはご飯と混ぜて堪能する。

お店の人の目を気にしてかあまり混ぜなかったのだけど、これは失敗した。

甲羅の隅にへばりついたミソと内膜がうまいので、親の仇のように混ぜ返し、ご飯に漏れなくカニエキスを付着させるべきだった。

 

最後に、空になった甲羅をひっくり返してついていた「フンドシ」の部分を元に戻し、カニの殻を眺めた。

 

上海ガニとワタリガニの欲望が、脳の片隅に黒いモヤモヤのようにあったのだとして、それがスーーっと抜けていったような感覚があった。

ワタリガニの供養とともに、上海ガニは実体もないのに怨念だけ供養されたのだった。

今年の2月から、デュピクセントを買って使うようになった。

 

治験から10か月が過ぎ、かゆみが本格化したときに久しぶりに皮膚科に行った。

そのとき医師から、デュピクセントが認可が下り製品化されたことを聞いたのだった。

 

医師からは、デュピクセントを買って使うほかに、新たな治験に参加することも勧められた。

一応治験の担当からお話を伺ったのだけど、

・データ取得のため、両手首にごつい腕時計状動作センサーを常時つける

というルールだった。

腕時計センサーを見せてもらったが、黒いバンドで文字盤のない時計だった。

これを両手首につけ続けるのは怪しすぎる。

よほどの引きこもりじゃない限り、周りに眉をひそめられながら生活することになってしまう。

治験は参加することなく、デュピクセントの投与生活を始めたのだった。

 

今は4週間に1度デュピクセントを射っている。

1本25,000円だから年30万円かけていることになるけれど、その代わり他のアトピー治療は一切やる必要がなく、軟膏や抗ヒスタミン剤からも解放されている。

肌から出血が起きないので、肌着やYシャツの保ちも良くなった。

正直お値打ちだと思っている。

 

ただ、それは僕が独り身で、働き盛りでたまたま毎月25,000円のお金が捻出できるからだよなあ、と思う。

 

もし僕が世帯を持っていて、家族のめいめいが月のお小遣い3万円とかで生活しているとすると、正直気が引ける出費ではある。

(架空の)奥さんが度々バーキンを買うような浪費家なら、いっそ気兼ねなく出せるかもしれないけれど、僕は本当に本当にケチなので、そういう金銭感覚が全然わからないのだ。

 

(架空の)奥さんに、この気持ちをわかっていただけるだろうか。

 

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