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最近、

 

世界最高のエビデンスでやさしく伝える 最新医学で一番正しい アトピーの治し方

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という本を読んだ。

 

僕も最近使っているデュピクセント等の薬によって、ようやくアトピーという病気がちゃんと治せるようになった。

だから皮膚科の先生がこの本が出版できたんだな。僕はそう思った。

 

センチメンタルな表現をすれば、気持ちに整理がついた後に書かれた恋文のような内容だったのだ。

 

そんなふうにこの本の成り立ちを想像するだに、幼少から今でもアトピー患者として時代を併走してきた自分としては大変感慨深いものがあったので、僕の幼少時代からのアトピー体験をぽそぽそ書いてみようと思うに至った。

 


 

アトピーに関する最も古い記憶は、小学3年生くらいのものだ。

 

もっとも、一般的な小児アトピーにはなっていたと思うので、乳幼児の頃から肌荒れはそれなりにあり、母にベビーパウダーをたたいてもらっていたとは思う。

 

掻き傷が悪くなり、膝裏にできた掻き傷のせいで皮膚がつっぱり、歩きにくくなった。

その辺りで母親と皮膚科に通った。

家から2kmほど離れた、豊平区月寒にある皮膚科に行っていた。

完全に徒歩だったかまでは記憶にないが、皮膚が突っ張って歩きにくい中、それなりに歩いて連れて行かれた記憶がある。

 

その時はチューブの「マイザー」を10本くらい、顔用のロコイドあたりを2本くらいを処方され、

皮膚科医が母親に

 

「こんなになるまで放っておいて! ちゃんと薬を塗ってなかったんでしょう!」

 

ときつく叱っていたのを覚えている。

 

 

ここで書いておきたかったのは、このころの時代で僕が一番嫌だったのは、自分が痒いことでも肌の見目が悪いことでもなく、「母親が皮膚科医に叱られていた」ことだということだ。

 

30年近く経っても記憶に残っているくらいだから、母親が叱られたことはそれなりにショックだったんだと思う。

 

僕の家は4人兄弟で、僕は二番目で2歳下の妹と6歳下の弟がいる。

母親はおおらかであっけらかんとした性格だから育児に神経質な方ではなかったけれど、4人を育てるというだけで、それを支える生活はそれなりに大変だっただろう。

 

また、4人の兄弟の中で、アトピーを発症したのは僕だけだった。

母親はアレルギー体質だったが、僕以外の3人は未だ花粉症にもならず、僕一人は気管支炎やアトピーを持っていた。

まるでアレルギーの全てが僕だけに遺伝したようだった。

そのこと自体は別に気にしてはいなかった(兄弟仲は良好だ)のだけれど、代わりに僕一人のために他の兄弟が行かない皮膚科に通うのは、些かの気遅れがあったのは確かだ。

 

処方されたチューブのマイザーは、母親が塗ったり僕が塗ったりしていたのだけど、当然毎日丁寧に塗れるはずもなく。

また、そもそもステロイド軟膏はできた傷の回復を促す効果しかないのだから、薬を塗ることで痒みが治るはずもないのだ。

ただ、アトピーというのは痒い時期、そうでもない時期が交互に訪れ、また、どんなにひどい時でも所詮肌がボロボロになるだけだから、母親の手が空いた時に不定期に皮膚科に通い、その度に皮膚科医に怒られながら薬をもらうということを繰り返していたのだった。

 

皮膚科医が「ちゃんと薬を塗りなさい」と母親を叱るのは、今でも合理性がなかったと思っている。

アトピーは、本質的には親に直接解決できる問題ではない。

それを医師の指示を忠実に守らなかった一点をもって責めるのは、親とアトピーを持つ子供にとってとてもつらいことだ。

別の例でたとえるならば、子の勉強が不出来なことをその親にあたる親戚のようなものではないかと思う。

 

これが僕とアトピーに係る、最初の呪いの記憶だ。


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