高校生の頃、アレルギーテストをした。

花粉症やアトピー等のアレルギー患者に対して行われるやつを、皮膚科で行うことになった。

 

半端な知識で解説をすると、人の身体には、ウイルスやばい菌などの危険物に対して、危険を察知して信号を出す抗体がある。

これのひとつがIgE(アイジーイー)抗体で、身体中にアンテナのように張り巡らされていて、危険物の侵入を防いでくれている。これが免疫だ。

 

アレルギーというのは免疫が過剰に働いてしまう病気で、IgE抗体の量が普通の人よりも多く、そのせいで少しの危険物に対し過剰に反応し、くしゃみや痒み、ひどいものでは心肺停止を引き起こしてしまう。

 

そして、IgE抗体には、決まった危険物にだけ反応を示す「特異的IgE」と、そうではない「非特異的IgE(あるいは総IgE)」というのがあって、特異的IgEの量に着目して「あなたはスギ花粉にアレルギーがありますね」なんて診断を行えるのが、アレルギーテストというわけだ。

 

今では花粉症や食物アレルギーなんかで、「僕は〇〇アレルギーなんですよ」なんていう話を聞くのが当たり前になった。

それくらい自分のアレルギーを把握しておくのは大切で、最近はレストランでも聞かれるものだから、生活文化のマナーに組み込まれているとも言える。

 

さて、てぃだの検査結果はどうだったのか。

もうテスト結果の紙は無くしてしまったのだけど、当時の僕の検査結果はこんな感じだった。

 

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ハウスダスト 5+

コナヒョウヒダニ 5+

ネコの毛・アカ 5+

スギ 3+

ブタクサ 4+

シラカバ 4+

 

蕎麦 2+

小麦 2+

油 +

卵白 +ー

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検査結果用紙はプラスの数に応じて✳印が印字されていたのだけれど、

5+が最高水準で、右端まで✳印が届いていてメーターが振り切れて測れないレベルというものだった。

ハウスダスト、ダニ、ネコの毛について、堂々の計測不能だ。

ハウスダスト、ダニなんて避けようがないし、僕の実家は猫を数十匹飼っていた。

 

また、5+を見た後だと霞んでしまう食べ物のアレルギーも、「+ー以上で立派なアレルギーと考えるのが普通」という医者の話だった。

 

僕はこの検査結果で、酷く落ち込んだ。

 

その晩の食卓で、

「僕は油も食べられない、卵も食べられない・・・。もう、食べない・・・。」

と、箸を置いて飯に手をつけなかった。

 

他の兄弟には何にも問題なく食べられるものが、僕にとっては危険物まみれだったのだ。

これから、ほとんどの美味しいものにはありつけずに生活をしなければいけない。

そういうことを医者に宣告されたのだ。

 

そんな僕を見て、父親はものすごく怒った。

 

「うるせえ! そんなに言うなら家から出て行け!!」

と、メソメソしている僕に一喝したのだ。

 

うちの父親はかんしゃく持ちで有名で、気に食わないことはヘソを曲げて瞬間湯沸器のように怒鳴る癖がある。

 

父親の怒りとそれを見ていた母、兄弟の視線を受けて、僕はご飯をとぼとぼと食べることになった。

以来、家では僕のアレルギー検査結果はなかったことになり、何のアレルゲンにも気を遣うことなく、普段の日常に戻って行った。

 

僕は、この日の父親の行動は英断だったと思っている。いまも心から感謝している。

もし僕の家がもう少し真面目な家庭で、医者の指導を真摯に守る家庭だったら、今頃僕はほとんどの贅沢品を食べることができず、コメとお茶くらいの粗食に耐える人生を歩むことになっていただろう。

それに比べて、いま僕は好きなものを飲み食いしている。そばは大好物だし、油物を食べているときはたまらなく幸せだ。

 

今通っている皮膚科医には、こんなことをいわれたことがある。

 

「君のアレルギーは横綱級だね。

 自分の身体の中に、テロ組織があると思いなさい。

 そして、一生懸命生きれば生きるほど、体内も反抗するんだ。

 私もたくさんの患者を見てきたけれど、死ぬ間際の人はみんなアトピーが治ってるんだ。

 バイタリティーでアトピーは悪化するんだ。」

 

この話で僕がひとつ救われたのは、アレルギーは「生きることへの反抗」ということだ。

 

人はアレルギーを宣告されると、まずはアレルゲンを避けようとする。

いわゆる「XXフォビア(〇〇恐怖症)」という行動原理を取ろうとする。

 

だけれど、アレルギーまみれの僕からすると、その対象が全部なのだ。

「生存フォビア」ということになってしまう。

 

残酷にも、医療では解決策がない診断をされることはある。

でも、たとえそういうことがあったとしても、生きることを諦めるわけにはいかないじゃないか。

そういう解がない問題に対し、その問題を無視することは立派な答えだと僕は思う。

 

少しだけいい話をすると、子どものアレルギーに悩む親世代の友人に、僕は決まって自分の話をする。

もちろんアレルギーにはいろいろな種類があって、重篤なアナフィラキシーには注意が必要だ。

でも僕の場合は肌と軽い気管支炎になるだけで、無視したほうがよっぽど幸せに暮らしている、と。

 

そうすると、話を聞いた友人たちは決まって、少し気が晴れた、神様に会ったような顔をしてくれる。

子にかけられた呪いほど、親にとって辛いものはないだろうからね。

 

亡くなった父親の瞬間湯沸器の話で今のお父さん世代の心を軽くできるのは、出来過ぎたいい話だろう?

 

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